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ヨルダン通信No.2

2008年1月1日(火)晴れ
ヨルダン通信No.2_e0134856_1701752.jpgイスラム社会では10月にラマダン明けのイード・ファトル(ハッジのメッカ巡礼)で4日間、12月にイード・アズ―ハ(動物への供養際)のため3日間それぞれ休日をとる。しかし年末年始の休日は1月1日の一日だけ。我々の休暇は1日と2日だけ。
本日は現場を離れて名所旧跡見学と洒落込んだ。朝7時タクシーを貸しきり、アンマンから約75キロ北西にあるアジュルン市所在のカラート・アル・ラバドを見学。
ヨルダン通信No.2_e0134856_1705232.jpgここは4年ほど以前ジャイカでイラク人研修生と見学したことがあり、山の頂上に築かれた城である。この城は1184~5年にかけ十字軍の進入に備えてイスラム側が築いたものである。その後1260年モンゴル軍によって攻められ破壊された。その後修復が重ねられ17世紀にはオスマントルコ軍駐留の城ともなった。現在も修復が進められている。内部には博物館がある。
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ヨルダン通信No.2_e0134856_1731310.jpg次はカラート・アル・ラバドをあとにアンマンの西約約20キロにあるサルトの町に向かった。この町は小じんまりとした小さな町であるがBC2200年ごろ城壁が築かれるなどヨルダンでは古い町の一つである。谷あいに発達した城壁のめぐる町で、斜面に作られた石畳の町並みには風情がある。1929年トランス・ヨルダンの首都がアンマンに置かれるまで、政治・経済の中心として発展した町である。黄色い建物が連なる町並みには石畳と階段が幾つもの路地を連ねており、建物のバルコニー、窓や扉に掘り込まれた彫刻、円柱などの装飾はオスマントルコ時代の建物で現在も人々が生活している。路地を歩いていたら幼子の手を引いた親子に会った。
ヨルダン通信No.2_e0134856_1745557.jpgこんにちはと挨拶したら母親の方から親しげに写真とっても良いよと言われた。
すかさずカメラを構えた私の様子を見て今まで笑っていた女の子が突然泣き出してしまった。泣き声を聞きつけて数人の人たちが路地の窓から顔を出しこの光景に注目した。私は一瞬この状況に困ってしまいどうしたものかと戸惑ったとき、微笑んだ笑顔の母親が私の方を見て問題ないと泣く子を宥めてくれた。ヨルダン通信No.2_e0134856_1763853.jpg
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町の中心からさらに石畳の路地の商店街を上り詰めるとあまり大きくない広場がある。太い木が1本ありその脇に東屋風の木造建物がある。
その中では数人のお年寄りたちがドミノ(アラブ式将棋)を楽しんでいた。そこに近づきおもむろに写真とってもいいですかと声をかけるとOKの二つ返事、そして直にお前はどこから遣ってきた?と聞かれた。日本だと答えると皆が口をそろえてウエルカムと言って歓迎してくれた。
サルトの町を出たのは午後1時を過ぎていた。アンマンで昼食をとり、ザルカを経由してイルビットからウムカイスに戻ったのは夕刻6時であった。ウムカイス通信も宜しく。

by yuji_toda | 2008-01-04 16:51 | ヨルダン通信  

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