カテゴリ:ウムカイス通信( 6 )

 

ウムカイス通信5  5月の砂嵐

5月の砂嵐
現場での整理作業を初めてはや10日を過ぎた。遺物の整理作業も順調に進み新資料もいくつか確認。毎日の天候はほぼ快晴か、雲が少しかかる程度で気温も初夏そのもの。日おうごとに色とりどりの草花に覆われるウムカイスである。こういったさなかウムカイスに到着して12日目の夜半、突然風が吹き荒れ天候が一変した。朝になっても一向に収まる気配もなくむしろあたりはうす暗くなり激しさを増すばかりであった。砂嵐である。かなり以前私はイラクカルバラで経験したことがあるが顔に砂が当たり視界がほとんどなかったように記憶している。ハジャージと呼ばれている砂嵐であるが生温かい強風に砂が舞う現象である。この地域では例年よりも早い時期の砂嵐だと地元の人たちは言っていた。結局ハジャージは夜まで続いた。話によるとこの日ハジャージのためレザートハイウエイで交通事故が発生したため北部の区間が通行止めになったという。また砂嵐のひどい時には空港も閉鎖されることもあるという。現場では砂嵐のため前方とその下に普段ならパノラマのように見えるはずのゴラン高原とウヘェーべの町、そしてガリレラ湖がまったく見えなくなってしまった。
翌朝は何もなかったかの如くウムカイスは草花に包まれていた。
e0134856_0162420.jpg

砂嵐にみまわれたウヘェーべの町とゴラン高原
e0134856_0235512.jpg

砂嵐翌日のウヘェーべの町とゴラン高原
e0134856_0252774.jpg

砂嵐にみまわれたガリレラ湖
e0134856_031572.jpg

砂嵐翌日のガリレラ湖
[PR]

by yuji_toda | 2009-05-05 20:50 | ウムカイス通信  

ウムカイス通信5  

  ウムカイス通信5  草花咲き舞うウムカイス
 4月22日関空を発ち、翌早朝ドバイを経由しアンマンに到着。早朝の時間でも相変わらずドバイ空港は人の群れででごった返していた。ただ前回と違うのは免税店内の買い物客が少なくなっている風景だ。
 22日授業終えたその足で羽田に向かい、ここウムカイスに着いたのが23日午後1時。約25時間の長旅であった。到着して即現場でジャファーとワーカーの歓迎をうけた。
 今回ウムカイスに来た私の目的は1月にやり残した遺物整理、特に瓦の整理である。ほぼ3か月ぶりのウムカイスだ。
1月の遺跡には草花もなく一面どんよりとした光景であった。しかしこの時期のウムカイスは遺跡一面に色とりどりの草花が咲き乱れ、一帯が花に包まれ、これに抜けるような青空が調和した風景を見せてくれる。ヨルダンで1年を通じて私はこの季節が一番好きである。
 草花の眼下にはコバルトブルーのガリラヤ湖、むかいにはゴラン高原のパノラマが言葉では言い表せないほどみごとな風景である。約3週間この景色の中で仕事が出来ると考えただけで感無量としか言いようがない。
e0134856_1983012.jpg

ガリラヤ湖を望む
e0134856_19133364.jpg

遺跡に咲く草花
e0134856_19231486.jpg

草花の中のローマンロード
e0134856_192750100.jpg

草花の向こうゴラン高原
[PR]

by yuji_toda | 2009-04-23 19:22 | ウムカイス通信  

ウムカイス通信3

 47℃を超えたウムカイス
今回ウムカイスに来てまもなく一月になるが、昨夜から今朝にかけてはこれまでにない暑さで寝苦しかった。今回の調査滞在でははじめてのことである。結局朝1時間早い4時の起床となった。
外に出ると月明かりで冷りとしていたがなぜかいつものような風がなかった。今までの経験から今日は暑くなるのかなと思った。
 発掘調査は午前6時開始。いつもだと午前9時~10時ごろまで雲があり風が舞うので気持ちがよいのだが今日は雲も風もない。
午前8時ごろから次第に気温が上がりだし眼下のガレリア湖が霞んでいる。12時を過ぎたころからさらに気温が上昇し体にけだるさを感じてきた。
雲ひとつない快晴、どのくらいの気温か予想もつかないまま温度計を炎天下に出してみるとなんと℃47度を超えていたのにはびっくり、木陰に移しても39度を超えていた。ちなみに湿度は12%を示していた。e0134856_18591023.jpge0134856_1921168.jpg
この猛暑の中現地のワーカーたちはひるむことなく、ただ黙々と発掘作業に従事。
12時45分暑さもピークに達した中でワーカーたちは木陰に集まり15分間、アッラーの神への祈りに入った。
e0134856_19343295.jpg

[PR]

by yuji_toda | 2008-08-19 00:16 | ウムカイス通信  

ウムカイス通信4

ファーマンは愛馬で通勤
午前5時45分ウムカイス遺跡の発掘調査に向かうかっぷくの良い男がいる。彼は日本隊の発掘調査に従事する全ワーカーの長である。名前はアブガセン、歳は50を過ぎたばかりであるが「ハッチ」である。人望も厚く発掘に入る前ワーカーに作業の手順を伝え、それぞれの持ち場を指示する。現場で行う昼の礼拝ももちろん彼がとりしきる。このようなワーカーの長を「ファーマン」という。彼はいつも自宅と遺跡を愛馬で行き来する。
e0134856_0164843.jpg

[PR]

by yuji_toda | 2008-08-06 20:30 | ウムカイス通信  

ウムカイス通信2

 ウムカイス通信2 ―ガダラから見えるガレリヤ湖― 
 今回は松本団長、小野両先生と3名で2月18日19時55分に羽田を出発し、関西国際空港、ドバイと乗り継ぎ、アンマンに到着したのは翌20日15時40分(日本時間21時40分)。空港からウムカイスにたどり着いたのは18時近かった。羽田を出発して現地到着まで約34時間かかったことになる。
 
 翌朝7時から現場時差ぼけなどなんのその・・・・・とはいうもののホントは骨身にこたえる。
 今日のガダラは快晴、タブール山、ガレリヤ湖、ゴラン高原、ヘルモン山が絵から抜けたように鮮やかだ。この時期にしか見れないパノラマである。今日はガダラ(ウムカイス遺跡)から見えるガリラヤ湖と「聖ペトロの魚」の写真を添付する。
e0134856_1955418.gif

 眼下のガリラヤ湖周辺の都市は古代イエスが教えを説いた地域で(マルコによる福音書4-1)、ペドロはじめ最初の弟子4人はこのガリラヤの漁師であったと『聖書』は伝えてる(マルコによる福音書4-1)。このほかにも「聖ペトロの魚」の話(マルコによる福音書17-27)なども見られ、湖では古代から多くの魚の獲れていたことが知られる。またガダラとガレリヤ湖との関係もマタイによる福音書8-28で「悪霊に取りつかれたガダラ人をいやす」イエスの記事に見られます。
e0134856_1911825.gif

 写真はガレリヤ湖に住む魚「聖ペトロの魚」で、鱗のある魚である。
e0134856_1911548.gif

 この写真はモーゼの律法で食用を禁じられた「鱗のない」である。
 どちらも現在ガレリヤ湖に生息しヨルダン川周辺では養殖も行われている。
[PR]

by yuji_toda | 2008-02-21 16:30 | ウムカイス通信  

ウムカイス通信1

 ウムカイス通信1
 2004年度からウムカイス遺跡の調査が開始され、私はその調査メンバーとして参加させていただいております。今後現地での遺跡から見える風景、我々の日常生活に関することなどウムカイスに関したことについてブログします。
 
 ウムカイス遺跡は中東ヨルダン・ハシミテ王国(通称ヨルダン)北部でイスラエル、シリアと接する国境の町にあ。。遺跡から望む北にはヤルムーク川後方の眼下にガリラヤ湖を挟み西がテビリヤス(イスラエル)、東がゴラン高原からシリアへと続く大パノラマが映し出される。遺跡はヘレニズムから始まりローマ時代にはガダラと呼ばれたデカ・ポリス(十都市連合)の一都市であった。
e0134856_17164362.gif

 ガダラについては『新約聖書』マタイによる福音書8-28で「悪霊に取りつかれたガダラ人をいやす」記事がありキリストの教えが伝えられた都市であったことがわかっている。
 遺跡は100年以上以前に発掘調査が開始され、現在もドイツ隊、ヨルダン隊によって実施継続され2004年度からは我々日本の調査団(団長 松本 健 国士舘大学イラク古代文化研究所教授・所長)も発掘調査を開始した。
 規模は東西約1,7キロ、南北約300~500mにわたって城壁のめぐらされた都市遺跡で、内部には大小2個のローマ時代円形劇場、教会、列柱道路、神殿、浴場などの跡が残っている。
e0134856_17172493.gif

e0134856_1717593.gif

 
 ヨルダン国内にはぺトラ、ジャラシュ、ウムカイスなどの著名な遺跡が多くあり、世界各地から観光客、研究者など訪れる。しかしウムカイス遺跡については日本人がほとんど訪れないのが現状である。
[PR]

by yuji_toda | 2008-01-25 16:30 | ウムカイス通信  

このホームページに記載されている記事・画像の無断転載・複製・販売を禁止いたします。